2006年02月12日

2005年04月06日 ゴッホ展 3月23日から5月22日

東京国立近代美術館で3月から5月の22日までやるようです。
このポスターに使われている”夜のカフェテラス”を美術書で初めて見て
当時中学生の私はゴッホはへたくそ、わたしだったらもっと上手く描けると思い模写をしたおぼえがあります。
意外にも当時のわたしには上手く描けず挫折した思い出があります。

夜のカフェテラス1000.jpg

ゴッホは27歳から自殺した38歳までの約10年間に画商の弟テオドルスの援助のもと2000作を越える作品をかきながら
生涯でたったひとつの作品≪赤い葡萄畑≫しか売れなかった。
これはよく考えるとゴッホには画商の弟がいるのに1枚しか売れないなんて
異常なことだと思われる。
普通、2000枚も描かけば2−3枚は売れるだろう。

友人(知人程度?)のゴーギャンの絵はそこそこ売れているのだからなおさら不思議である。わたしはゴーギャンの絵も上手くはないがタヒチに行く前のアルル地方を描いた絵はそこそこ売れただろうと思えるでき。ところで、ゴーギャンはタヒチではじめに13歳の愛人(この年齢で愛人と呼べるのか)次に訪れたとき14歳の愛人を作っている詳しいいきさつは知らないが現代なら犯罪。画家はすけべが多いのでしょうか?

ゴッホに話を戻すとここまで絵が売れない(だって2000枚中1枚)ということは当時のフランス人は昔の中学生だった私と同じように 目が高かったと思われる。
今回、やっぱりゴッホは下手というのを確かめに行こうと思う。

以下ゴッホ展の資料より
フィンセント・ファン・ゴッホ略年表
1853 3月30日オランダ南部のフロート・ズンデルトに牧師の父のもと生まれる。
1857 5月1日フィンセントの弟テオドルス(通称テオ)誕生。
1864 ゼーフェンベルヘンの寄宿学校に入る。
1869 画商の伯父を通して、美術商グーピル商会のハーグ支店に見習いとして就職。
1872 テオとの生涯にわたる文通が始まる。
1873 グーピル商会のロンドン支店に転勤になる。下宿先の娘に恋する。
1874 10月、失恋のため精神に変調をきたし、パリへ一時勤務となり数ヶ月滞在する。
1875 グーピル商会のパリ本店へ正式に移る。
1876 グーピル商会を辞職。4月、イギリスへ渡りラムズゲートの寄宿学校でフランス語とドイツ語を教える。
その後ロンドン郊外の日曜学校で補助説教師をつとめる。
1877 1月から4月、ドルドレヒトの書店で働く。5月、アムステルダムに赴き、神学を学ぶため大学入学を志す。
1878 進学を断念。伝道師になるための教育を受けるべく、ブリュッセル郊外のラーケンへ赴く。
12月、ベルギー南部の炭鉱地帯ボリナージュで伝道活動を始める。
1879 熱心すぎるあまり、伝道師の資格はあたえられなかった。
1880 夏、画家になることを決意し、テオの経済的援助のもと、素描をはじめる。ミレー、ドービニー、ルソーを模写する。
10月、ブリュッセルに出て、若いオランダ人画家アントン・ファン・ラッパルトと出会う。
1881 4月、ブラバント地方のエッテンにもどり、地元の農民の素描を制作。8月、ハーグを訪れ、当地の画家たちおよび特に従兄のアントン・モーヴと交流する。12月、ハーグに落ちつき、主にモーヴの指導のもと制作をする。
1882 身重の娼婦シーンと知り合い、彼女とその家族をモデルにして制作。
1883 9月、シーンと別れハーグを去る。ハーグの画家たちになじみ深い北部のドレンテへ移り、真剣に油彩画にとり組む。
12月、家族の移転地ニューネンを訪れる。
1884 隣家に住むマルホ・ベーヘマンと恋愛関係になるが、両家の反対にあい、彼女は服毒自殺を図る。
1885 地元の農民や職工を描いた作品のなかで頂点をなす〈馬鈴薯を食べる人々〉制作。
11月、アントワープへ移る。この後、ファン・ゴッホがオランダの地を踏むことはない。
1886 3月頃、パリを訪れ、テオとともに暮らす。フェルナン・コルモンのアトリエに入る。
ジョン・ラッセル、トゥールーズ=ロートレック、ベルナール、シニャック、ゴーギャンらに出会う。
1887 自ら収集していた浮世絵の展覧会を開く。
1888 2月20日アルルに到着。5月、黄色い家を借りる。ゴーギャンが10月から12月にかけて滞在する。
しかし、ゴーギャンとの確執の末、左耳下部を切り取り、アルルの病院に収容される。
1889 3月、テオが結婚する。5月、サン=レミの療養院に入院。
野外での制作も許され、オリーブ畑、糸杉、麦畑などを主題とした作品を制作する。そのほか、ミレーやドラクロワの模写などを制作。
1890 1月、テオに息子誕生、生まれた息子にフィンセントの名前をつける。また、アルベール・オーリエが、『メルキュール・ド・フランス』誌にゴッホの作品について記事をのせる。ベルギーの「レ・ヴァン」展に出品し、アンナ・ボックが〈赤い葡萄畑〉を買いとる。5月、オーヴェール=シュル=オワーズに移る途中、パリのテオを訪ね、妻とその子フィンセントに会う。その後、ピサロの薦めで精神科医ガシェの世話になるが、7月27日、胸部をみずからピストルで撃つ。29日テオに見守られながら息を引きとる。9月、テオの健康状態が悪化、10月には心身ともに衰弱する。
1891 1月25日テオ、ユトレヒトの病院で死亡。


posted by ぐっちー at 07:39| Comment(1) | TrackBack(0) | 地球人のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Posted by みんなのプロフィール at 2006年02月13日 10:01
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